年間行事

2016年5月14日(土)看護大会参加

第30回栃木県看護大会、第26回『看護の日』記念行事参加

日 時 2016年、5月14日(土)
場 所 栃木県総合文化センターメインホール
参加者 (4東)吉澤恵一、(3東)鈴木一男、(3西)鈴木義延

プログラム

1、栃木県巻外界式典
2、ふれあい看護体験発表
3、ジュニアクラスによる発表
4、記念講演
「夢へのチャレンジ」
わが野球人生、野村、長嶋、星野監督に学んだこと
広澤克美『野球解説者、スポーツコメンテーター

総評

栃木県総合文化センター大ホールを満席にする約1000名以上の参加者があり、看護業務に関して様々な業績をのこした方々の表彰式を中心に、バレエスクールの発表会やかつてプロ野球の分野で活躍した人気選手の記念講演など、盛りだくさんの行事が行われました。

大会の趣旨

「目覚ましい医療の進歩と少子高齢社会に対応できるよう、看護専門職としての自覚と意識高揚を図る事を目的とする」

大会スローガン

1、栃木県鉱21プランを推進し、県民の健康を守りましょう。
2、看護職として専門性を高め、安全で質の高い看護を提供しましょう。
3、県民が安心して地域で生活できるよう、ネットワークづくりをしましょう。

大会宣言

―私たちは、県民の健康を担うチームの一員として今後、より一層自己研鑽を積み、保健、医療、福祉に貢献し、より良い看護を提供するために努力いたします。

大会長(河野順子)氏のメッセージ

「初めて見る母の顔」、これは看護週間のキャッチフレーズとして造られたものですが、看護職に打ち込む母親の姿を子供の視点から見直してみようという取り組みが紹介されました。
そのスローガンが発表されたのちは、国政、県政、市政を担う議員の方々の祝辞を承り、その後知事表彰受賞者5名の表彰、大会長受賞者(20名)の表彰が行われました。ふれあい看護体験の発表では、看護を目指す学生たちの、実体験に即した素直な感想が語られ、私たちも初心に帰って看護を見直すきっかけにもなりました。
午後にはアトラクションとして、辻麻紀子バレエスクール「ジュニアクラスによる発表」があり、看護大会を祝福する記念講演が行われました。これは看護に携わる人たちがより広い視野に立って仕事ができるように、全く別の分野での人々の姿に思いをはせるきっかけになればとの人選だということです。

記念講演(論旨抜粋)

「夢へのチャレンジ:わが野球人生、野村監督、長嶋監督、星野監督に学んだこと」
広澤克美(野球解説者、スポーツコメンテーター)

皆さんこんにちは、今回この場では私の成功体験が語りたいのではありません。逆です。いかに人生は上手くいかないものなのか、そんな中でどのような気持ちでいればさまざまな逆境を超えていけるのか、いけないのか、そんなことを話したいと思います。

私はプロ野球選手として、名監督として世に伝えられる野村監督、長嶋監督、星野監督、この3人の監督の下で選手として過ごしました。球界広しといえどこの3名の監督とともに過ごした人は私しかいません。それなので私の目から見た、私の体験した監督たちの印象を紹介したいと思います。

分り易い喩として、戦国武将の性格を語るエピソードに、「泣かぬなら泣かせてみようホトトギス」という逸話があります。その例を使って3人の監督を語って見ます。

まず「野村監督」

鳴かぬなら頭を使えホトトギス

というのが野村監督を表する私の印象です。これはホトトギスはしっかり必要な環境さえ整えれば自然と鳴くという事を現しています。とにかく相手の事をよく知ること、しっかりとデータを集め良く観察し、知識を総動員し調査を充実させること。それぞれの現象には原理原則、そして目的があるはず。まずホトトギスは何故鳴くかを知る、その事から鳴かすための条件が見つかるはず。データと際限のない考察、それが野村監督の仕事の特徴です。

彼は私たち選手に「俺はこういう野球がしたい」と宣言するのです。それまで私が体験してきた野球は、体で覚えろ!スランプがあると足、下半身、そして走れ、走れの繰り返しでした。走って球が速くなるなら、マラソン選手の方がいいピッチャーや打者になれるはずです。

野村監督の指導は常に選手それぞれが抱える弱点の克服です。体の生理を把握する、道具の研究、何事も考えて行動しなければ意味がないのだと。考えて実行して評価する、そのサイクルを延々と繰り返す。只の根性論は自己満足で無意味、考える野球というのは野村監督が球界に与えた一番大きなものです。現在野球解説などをしている人たちはみな野村監督の影響から逃れられません。

次に「長嶋監督」

鳴かぬなら、鳴くのを連れてこいホトトギス

長嶋監督からはプロとしてのモチベーションを学んだと思います。監督がやる最初の仕事は、まず当日のスタンドを見て入りを確かめること。満員であるのかどうか。選手の給与は当日きているお客様からもらっている、球場に来られたお客様の期待に応えるプレーをし続ける事が選手たちのやるべきこと。プロとしてのモチベーションを持ち続けること。

長嶋監督は常に語ります、「君はいったい誰の為に野球をやっているのか、自分のため、家族のため、それはいったい全部合わせて何人いるんだ、それに比べここにきている人たち、そしてテレビを見ている人たち、野球ファン3000万人の為に野球をしなければ意味がないだろう。ジャイアンツのユニフォームは選ばれた人だけが切れる選ばれた人間の証明だ、ファンに支えられている自分たちは彼らに元気を与える事の出来るプレーをしなければならないだろう」。

自分のためにプレーしているのはアマチュア、プロはファンの喜びの為にプレーしなければ意味がない。今ここで逆転ホームランが出たら観客が喜ぶだろうというところでそれが出来るのがプロだ。ファンの期待に応えられる選手になれというのが監督から教えられたメッセージでした。

そして「星野監督」

鳴かぬなら、気持ちで泣かせるホトトギス

プロの野球選手にとって、最後の最後は気持ちの問題だ、心技体、それを高いレベルのパフォーマンスに繋げるには気持が切り札。その為選手にかける言葉は個人個人巧みに使い分ける、人に合わせて表現を変えていく。何かを伝えるには言葉しかない、相手をしっかり見極めて対応する、星野監督は人の使い分け、その方法などバリエーションがとにかく豊富なんです。指導法の引出しの多さが特徴です。選手ごとに全くかける言葉が違うんです、態度も全く違うんですね、かなり戸惑うことおありましたが。

これら監督の共通点は皆それぞれに頭がいいこと、その頭の良さとは学習する、吸収するという力ではなく、自分から発する力の強さ、知恵、アイデアを発する力の強さです。この3人から出されたアイデアが今の野球界では一杯貴重な財産として生かされています。情報発信の為の力はリーダの条件でもあるでしょう。

この3人以外に私に大きな影響を与えた監督に、プロになる以前、大学時代の野球部監督が忘れられません。名門明治大学の野球部は部員が沢山います、誰もが素質と努力する事を惜しまない人たちでしたから、誰でもそんなに大きな差が出るものではありません。そんなところでレギュラーになるのは本当に難しいこと、監督に認められないとベンチにも入れません、野球には裏方があります、脇役を嫌がらないこと、黒子に徹しているといつかチャンスが巡ってくる、ですから下ずみをしっかりやるというのが部活動の不文律でした。

ですがこのチャンスというのが実に全くめぐってこないんです。いつまでたってもひたすら下ずみから脱することが出来ない、何度泣いたかしれません。そして最後の最後に巡ってきた、たった一つチャンスにしがみつき、絶対離さないぞときつく握りしめ、何とかのし上がることが出来ました。

この下ずみという立場の時間、それはそれはとても長く辛い年月でした。求め裏切られ絶望し、それでもあきらめず期待しぬか喜びしまた打ちのめされる。その果てしないくり返しです。それでもあきらめず一瞬のチャンスを絶対逃すまいとする気力、この下ずみの時代がその後の選手生活を支えた力になっていたと、今になって思います。

自分にとっての宝は何かと思えば、それぞれの時代に出会った指導者によって、自分の中のさまざまな力を伸ばさせてもらった事です。ある仏僧の話に「私たちはあの世からたくさんの試練を与えられてこの世に降りてきた、そのノルマを果たしてあの世に戻るのが人生」と聞かされました。

何千何百という人には無理でも何十人かには何かを与えられるかもしれない、自分にとって「鳴かぬホトトギス」とはいったいなんだと常に問い、そして今も答えを探しています。誰でも人生の中で他の人に元気を与えることが出来たら、あなたにとってその問いの答えは何になるでしょう。

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